ブルース・ウィリス俳優引退から1年、光輝いた“中年男”役を振り返る
ブルース・ウィリスが俳優を引退してから、そろそろ1年が経つ。仕事を辞めざるを得なかったのは病気のためだ。失語症、および前頭側頭型認知症。言語能力と行動にそれぞれ困難を生じる病だという。『ダイ・ハード』の不死身の男が、あるいは『アルマゲドン』で地球を救った英雄が仕事を続けられなくなるとはかつて想像もしなかった。突然に病を得て、人生のすべてが変わってしまう。それは誰の身にも起こり得ることだ。そう実感しながら、同時にこれまで30数年にわたって見てきたウィリスの仕事を振り返ってみたりもする。いつまでもそこにいて当然と思い込んでいた人を、今後映画館で新しく目にすることはないと考えると、改めて衝撃を受ける。
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■“ヤレヤレ”な男が良く似合う
記憶のなかのブルース・ウィリスはしばしば気怠げな様子で、よくヤレヤレとこぼしている。「ダイ・ハード」シリーズのジョン・マクレーン刑事はそうしたヤレヤレ路線の元祖にして代表格だ。うだつの上がらない中年男が、機転とガッツで危機また危機を切り抜ける。主人公が屈強な肉体を誇る超人ではなく、あくまで中肉中背の普通の男である辺りに、同作のアクション映画としての新しさがあった。
とはいえよくよく考えてみればマクレーンとて十分以上に常人を超えたスーパー刑事だった。やたらと頭も切れれば腕も立ち、何よりも異常に打たれ強い。まさにタイトル通りの死んでも死なないタフな奴だ。そんな現実離れしたヒーローに、観客にとって身近な存在としての説得力を与えたのが、他でもないウィリスの風貌と力の抜けた佇まいだった。
身を粉にして働いても人生うまく行かず、常に何かを諦めてふて腐れているあたりも素晴らしかった。女房とヨリを戻し、とくに何も諦めるものがなかった頃の『ダイ・ハード2』のマクレーンが、実は最もキャラクターとしての魅力に乏しかったと言える。そこから続いた第3部の冒頭、結局は妻ホリーに愛想を尽かされ、二日酔いでヨレヨレになっているマクレーンのどうしようもない姿を見た時はえらく嬉しくなったものだ。
『ダイ・ハード』(1988) 写真提供:AFLO
いろいろと嫌になってしまった男に扮するたび、ブルース・ウィリスは光り輝いた。『パルプ・フィクション』のボクサーくずれ、ブッチもそうだった。八百長を拒否してやくざの親分に追われ、行きがかり上のさまざまな危機をくぐり抜けるうちに、何となく生きることへ前向きになっていく。この「何となく」というあたりがまた肝心だ。人生を変えられるような出来事があったとしても、ウィリスの演じるキャラクターは概ねそれを認めるのが気恥ずかしいかのような表情で明後日のほうを向いていたりする。そんなクールな中年ぶりはアクション大作『ラスト・ボーイスカウト』でも全開だった。
■中年男役を輝かせる「タフさ」と「気恥ずかしさ」
妻子に愛想を尽かされて自暴自棄となった(またか!)私立探偵が、ふとしたことからアメフト業界の裏に巣食う巨悪と戦う羽目になる。いろいろあってズタボロになりつつ、最後は巨大スタジアムのバックネットあたりで大立ち回りを演じることになるウィリス。激闘を制してひとり立つ主人公に、満場の観客の視線が向けられる。するとウィリスはまた何となくいたたまれなくなり、しかたなくその場で適当に踊ってみせるのである。これが恥ずかしそうでいい。そんな可愛げに加えて、同作では底冷えするような恐ろしさも見せる。
『ラスト・ボーイスカウト』(1991) 写真提供:AFLO
悪党に捕まり、囲まれたウィリス。煙草を吸わせてくれよとチンピラにせがんだところ、一本くれると見せかけて思い切り殴られた。お前もう一度やったら殺すぞ、と警告を発して、改めて煙草を要求。するとやはり殴られたので電光石火の頭突きを放ち、チンピラの息の根を止めた。「殺すって言ったろう」。そう吐き捨てて煙草に火を点ける。あまりのことに周囲では悪党が騒然としているが、本人はまるで気にしない。この目の据わり方もまたウィリスの魅力だろう。
『ラスト・ボーイスカウト』はダメな中年が傷だらけの七転八倒を経て再起する、脚本家シェーン・ブラックの「いつもの映画」ではある(『アイアンマン3』や『ナイスガイズ!』など、ブラック作品はだいたいそういう話だ)。そんな展開にウィリスの人を食ったタフネスがよく似合う。今やあまり話題に上ることもない作品だが、折に触れてつい観てしまうのである。