『愛の、がっこう。』中島歩が怪演“川原なにがし”とは何者だったのか “愛”と“執着”のはざまで

毎週木曜10時に放送中の『愛の、がっこう。』(フジテレビ系)の物語も終盤に差し掛かってきた。木村文乃演じる主人公の愛実がついに親元を離れた第9話。高圧的で支配的な父親が迫る状況からの脱出、はじめての一人暮らしや買い食い。一方、Snow Manのラウール演じるカヲルも、ホストクラブ「THE JOKER」が閉店される方針となり、ルームメイトの竹千代(坂口涼太郎)も実家に帰ってしまった。2人の環境の変化の訪れを描くような第9話だが、中でも最も印象的に残った変化は、“川原なにがし”こと川原洋二(中島歩)の心境変化だ。
【写真】身長184cmの中島歩 スタイル抜群のスーツ姿
■問題発言を繰り返す軽薄な男・川原
川原は登場時からきな臭いキャラクターだった。彼の父が、愛実の父・小川誠治(酒向芳)と大学のゼミ仲間のため紹介し合ったことから、半ば強制的に愛実と付き合うことになった川原。初登場時には額にけがをしている愛実を心配するどころか、「未公開の割安株を見つけた気分です」なんてとんでもない事を悪びれずに言ってしまう。そして自分の見え方ばかりを気にし、出会いに関して嘘をつこうと提案するのだ。この時点で「ああ、こんな男やめといた方が良い」と思うのだが、川原はその後も奇行や奇言を重ねていく。
愛実が結婚の話をなかったことにしようとしても、食い下がって結婚指輪を見に行こうと急かし始める川原。そんな彼は雪乃(野波麻帆)という女性と不倫の関係にあった。雪乃のことは気に入っているが、彼女は既婚で、自分は結婚したい。愛実の過去を聞いても彼女と結婚したいと言っていたのは“愛実と”ではなく“結婚が”したいからだ。「取引先の役員の娘だから仕事の役に立つかも」「銀行じゃまだ既婚者の方が、ウケがいいから」、そんな自分勝手な理由で、雪乃と逢瀬を重ねるホテルで愛実を抱こうとした。
『愛の、がっこう。』公式インスタグラム
ヘラヘラと、“まるで思ってもいない事をセリフのように話す”絶妙な口調も含め、そういった気持ち悪さが視聴者のヘイトを買ってきた。そんなうさん臭さをいち早く感じ取っていたのが、愛実の親友・百々子だ。愛実との会話の中で使う“川原なにがし”という呼び名も、妙にしっくりくる。それもこれも、演じる中島歩の演技力の賜物である。しかも同じタイミングで放送されているNHK連続テレビ小説『あんぱん』で演じる若松次郎役と全く違うや、その落差もキャラクターに対する拒絶反応に繋がりやすかったのではないだろうか。
■次郎から川原へ 存在感を活かした中島歩の自在な振り幅
『あんぱん』で中島が演じる次郎は主人公の最初の夫であり、彼がのぶ(今田美桜)にプロポーズをした際は、その真摯な姿勢や言葉にSNSのファンが沸いた。中島はこれまでも多くの作品に出演し、役の幅広さや演技の引き出しの多さが目立つ俳優だ。彼自身184cmの高身長で二枚目でもあるため、メインキャラクターでなくてもスクリーンに写っているだけで存在感を持っている。『愛の、がっこう。』はラウールが極めて高身長なため、共演シーンの多い俳優は背が高い人が多い印象だが、なかでも川原はあれだけ気色が悪くても愛実を取り合うポジションとして、ちゃんと高身長イケメンなのがキャラクターとして重要な要素のように思う。つまり、高身長イケメンだから“あれ”でもこれまでやってこられた、それゆえの過信や自己愛の強さなのである。
■三浦海岸での傷害事件を経て
川原としても愛実が一向に自分に靡(なび)かず、それどころかホストにハマっているのか気になり始めて尾行をするようになったり、事情を知っていそうな親友の百々子(田中みな実)の職場に押しかけて内情を探ったりするようになる。最初は自分がちゃんと結婚できるのか、その不安要素をなくそうという気持ちで始めたが、徐々に自分には見せない愛実の“恋する女性”としての顔を見てしまうのだ。
『愛の、がっこう。』公式インスタグラム
三浦海岸でカヲルを殴った時の心境を「何でホストごときに負けるんだろうと思うと腹が立って」と話していたように、社会的地位が劣る(と彼自身が思う)ホストに男として負けることに対して、彼のプライドが許さなかった。そこにあるのは愛実への愛ではなく、自己に対する肯定と愛だ。しかし、そんな自分の暴力を警察に報告せず、川原が優っていると感じていた社会的地位だって落とせる可能性もあったのに、それをあえてしなかったカヲル。自己愛に基づく行為(自分を殴った相手への復讐)を選ばなかったこと、その理由が「愛実が幸せになる未来を邪魔しないようにするため」と知ったとき、川原は自分にはないカヲルの愛実に対する“愛”を知る。それと同時に、カヲルから誰かを愛することの本質を教わったのだ。そういった川原の心境変化に注目しつつ、それと同時に“本来の彼にあったもの”も忘れずに見つめたい。