1999年公開『マトリックス』の衝撃 バレットタイム大流行、DVDミリオン達成…ブームを振り返る
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シリーズ最新作『マトリックス レザレクションズ』が12月17日より公開となる。すべてのはじまりは1999年に公開されたキアヌ・リーヴス主演のシリーズ第1作『マトリックス』だ。機械に支配された世界で、その事実に気づき目覚めた人間たちが立ち上がる。聖書やインターネット、『不思議の国のアリス』や押井守監督の『攻殻機動隊』のビジュアルイメージ、香港映画のワイヤーアクションなど、さまざまな要素を巧みに入れ込みつつ、最先端のVFXによって作り上げられた独特の世界観は、まさに“映像革命”の名にふさわしい傑作だった。ここでは本作が公開された1999年を回顧しつつ、本作がもたらした映像革命とブームを振り返りたい。
【写真】世界を驚かせた“バレットタイム”完成シーン&メイキング風景 『マトリックス』(1999)より
●『マトリックス』が公開された1999年とは
まずは公開当時の記憶を呼び起こしてみたい。『マトリックス』が日本で公開されたのは、1999年9月11日、夏休みが終わってすぐのことだった。1999年の夏といえば、ノストラダムスの大予言が世間で大流行していた頃。しかし、それを打ち消すほどの世紀の映画イベント『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』が公開された夏でもあった。
映画『マトリックス』(1999) 写真提供:AFLO
全米での『マトリックス』公開は、日本の約半年前の3月31日。日本の映画ファンは、春ごろに「キアヌ主演の『マトリックス』という映画がすごいことになってるらしい」という情報を持たされたまま半年も待つことになり、その間に『ファントム・メナス』というビッグイベントをまたいで、ようやく見ることができたのだ。
かくして『マトリックス』は“驚異の映像革命”と評され、全世界興収約4億6000万ドル、日本でも85億円の大ヒットを記録。空前のブームを巻き起こした。監督は、ウォシャウスキー兄弟(現姉妹)という謎のオタク監督。日本では1997年に単館系で公開された『バウンド』(ウォシャウスキーが『マトリックス』を作るために、実力試しで撮った初監督作)という秀作アクションを監督していたが、よほどコアな映画ファンぐらいにしかその名を知られていない存在だった。
●驚異の映像革命(1)バレットタイム
『マトリックス』公開時は、まさに映画のデジタル処理(CG)の進化の真っ只中で、映像を売りにした作品が次々と公開されていた頃。同時にそれは観客が少々のことでは驚かなくなっていたことも意味していた。
そんな観客に対し、本作はまさに未体験の映像を提供してみせた。その象徴たるものが、キアヌ演じるネオの周りをカメラが回り込み銃弾をかわす様子をスローで見せる、いわゆる「マトリックス避(よ)け」のシーン。映画ファンならずとも、テレビのバラエティー番組などでも盛んにマネされた“アレ”だ。
映画『マトリックス』(1999) 写真提供:AFLO
これは通称“バレットタイム”と呼ばれる撮影手法で、とんでもない労力が注がれている。静止画を撮影するデジタルカメラを役者の周りにらせん状に取り巻くようにズラ―っと並べ(最大で120台!)、動く被写体を1台ずつパシャパシャと高速で連続撮影、その画像を動画としてスロー再生するという仕組みだ。方法自体は単純に聞こえるが、静止画を連続再生しても滑らかな動きにはならないため、映像化にあたって中間のフレームのCG補完作業が必要であり、全てのカメラの焦点をしっかり合わせるためのシステムなども必要だった。
この手法は前からあったものだが、映画史に残る名シーンとして実現したのはカメラと映像技術の進化があってこそ。それまでカメラはフィルムに撮影するものだったが、2000年代からデジカメが一般にも普及し始め、写真はデータに残すものになっていく。カメラがフィルムからデジタルに変わりつつあった時期に、いち早くその技術を取り入れたからこそできた、技術の進化とアイデアが合致した見事な映像表現なのである。