田中律子、明るいキャラクターで一躍人気に! その裏ではストレスで倒れたことも…約40年間の芸能活動を振り返る
“アイドル冬の時代”の歌手活動は、「歌番組がどんどん減っていっていたし、バラエティ番組でゲームに勝ったら歌えるとか、ゲームに負けたら歌の途中で“ダン!”と歌を切られちゃったり…」とせつない経験も。そんなときに元気をくれたのは同世代の仲間たちで、田中は「よく現場で一緒になったのは、山瀬まみちゃんとか西田ひかるちゃん、男闘呼組ですかね。みんなで“今を楽しむしかないね”と励まし合っていました」とほほ笑む。
1989年には、フジテレビのドラマで陣内孝則や小泉今日子と共演した『愛しあってるかい!』にレギュラー出演。撮影現場は「ものすごく楽しかった」そうで、「学園ドラマの現場が、本当の学校みたいな感じ。みんなで勉強をしたり、テトリスをやったり。実際に通っていた堀越学園の制服から、劇中の制服に着替えて、また堀越の制服を着て帰るんです(笑)。実際の修学旅行は途中参加しかできなかったんですが、『愛しあってるかい!』のスタッフさんが『みんな、修学旅行に行きたいだろう』と言ってくれて、京都のロケを用意してくれたりして。青春を満喫させていただいた感じです。陣内さんにもキョンキョンにも、ものすごくかわいがってもらいました」とチームワークを感じ、やる気につながった。
芸能界という厳しい競争社会の中では、もちろん「悔しい」と思うことも。「コカ・コーラのCMにすごく憧れて。オーディションを3回受けて、3回とも落ちてしまったのは悔しかったですね。最終まで残っていたときもあったようで、“悔しい!”って」と回想。落ち込んだとしても引きずらない性格もエンジンとなり、「もう引退しようかな」と悩むごとにうれしいめぐり合いがあったという田中。人生の大きな転機となったのが、当時26歳での結婚、そして出産の経験だと語る。
「“このお仕事をちゃんとやっていきたい”と思ったのは、結婚・出産の経験をした頃です。結婚をするときには、引退をしようと思っていたんです。でも、その頃に出演していた番組のプロデューサーさんに“待っているからね!”と声をかけていただいて。辞めようとしているのにそんなふうに言ってくれるなんて、求めてくれる人がいるってものすごくうれしいことだなと思いました。結局、出産して1ヵ月後には、CM撮影をしていました」と清々しい気持ちで復帰することができたという。