田中律子、明るいキャラクターで一躍人気に! その裏ではストレスで倒れたことも…約40年間の芸能活動を振り返る
12歳でスカウトされて芸能界入りを果たし、モデルや歌手、女優業、司会業などマルチな活躍を続けてきた田中律子。芸能活動を続けてまもなく40年。当時から飾らない人柄と元気な笑顔が魅力的な彼女だが、高校時代には「ストレスで胃潰瘍になってしまった」と苦笑いを見せるほど、つらい時期を過ごしたという。50歳となった田中がこれまでのキャリアを振り返りつつ、旅番組などで発揮しているロケ力を育んだ秘訣(ひけつ)や、現在目指す未来までを語った。
【写真】現在50歳・ずっと変わらない笑顔が魅力の“りっちゃん”
17歳で胃潰瘍に! 目標が見えないまま走り続けたデビュー当時は「一番つらい時期だった」
“りっちゃん”と呼ばれ、幅広い世代から愛されている田中。1984年、中学1年生のときに東京・町田でスカウトされ、芸能界に飛び込んだ。
「それまで芸能界にはまったく興味がありませんでした。スカウトされたときは、親戚のおばさんと一緒にいて、“いいきっかけだから、やってみたら”と言ってくれて。その言葉に背中を押されて事務所に入り、放課後にオーディションを受けに行ったり、CM、雑誌のモデルをやり始めました」と述懐。「学校もなるべく休まないようにしていましたし、部活みたいな感覚でしたね」と語る。
当時は仕事という感覚や、それほど「自分からこれをやってみたい」という決断もなく、「求められることをやるのに必死」と奮闘しているうちに、売れっ子への階段をぐんぐん駆け上がっていった。
“アイドル冬の時代”に突入した1988年には、「FRIENDSHIP」で歌手デビューを果たしたが、当時を振り返り、「歌は得意ではなかったので、あまりやりたくなかったんです」と苦笑い。「筒美京平先生の初プロデュースで、フォーライフ・レコード初のアイドル。杏里さんの妹分という形で、かなり期待されていたと思うんです。だというのに鳴かず飛ばずで、売れずみたいな…」とぶっちゃけながら笑い飛ばす。
期待を背負い、「3ヵ月に一度はCDを出していました。振り付けを覚えて、やっと覚えたと思ったら次のレコーディング。朝には生放送のテレビ、夜にラジオの生放送があって、その合間に学校に行ったり、ラジオ局をまわったり、デパートの屋上で歌ったり…」と大忙し。「常に次の仕事が決まっていたので、“とにかく頑張らなきゃ”と一生懸命でした。“やめたいな”と思うこともありましたし、“どうやったら休めるかな”と考えて、倒れる練習をしたこともありますよ」と破顔しつつ、「17歳のとき、レコーディング中に本当に倒れちゃったんです! 胃カメラを飲んだら3つも潰瘍ができていた。ストレスですね。やっぱり、無理をしたらダメだなと思いました」とこれまでのキャリアを振り返っても、目標が見えないまま走り続けた当時は「一番つらい時期だった」と明かす。