広瀬すず、戦後が舞台の作品へ立て続けに出演 「自分にそのバトンが来たんだ」と衝撃

映画『ゆきてかへらぬ』、向田邦子作品のリメイクとなるNetflixシリーズ『阿修羅のごとく』と、今年に入って立て続けに”時代モノ”の作品に出演してきた広瀬すず。現代的な華やかさと絶対的”王道”感のある彼女が、こんなにも時代モノにフィットするのか……と新鮮に感じた人も多いはずだ。そんな広瀬が今度は「戦争」を背景とする作品に続けて挑んでいる。その一つが、ノーベル文学賞受賞作家カズオ・イシグロの長編小説デビュー作を、『ある男』の石川慶監督が映画化した『遠い山なみの光』だ。戦後間もない1950年代の長崎と1980年代のイギリスを舞台に、時代と場所を超えて交錯する“記憶"の秘密を紐解いていくヒューマンミステリー。広瀬すずは、長崎で原爆を経験し、戦後復興期に夫と暮らしながら新しい命を宿している主人公・悦子(1950年代)を演じた。第78回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門にも正式出品された本作について、広瀬が撮影の裏側や役作りへの思いを語った。
【写真】広瀬すず、はんなり浴衣姿が美しい 撮り下ろしフォト(10点)
■被爆した女性への寄り添い方に、心がグッとなる感覚
―― 台本を初めて読んだときの印象について、「ホラーのよう」とおっしゃっていましたが、どのあたりに感じられたのでしょう。
広瀬すず(以下、広瀬): 終始漂う不穏さですね。特に二階堂(ふみ)さんが演じる佐知子という女性の存在や、セリフのやりとりが独特で、噛み合っているようで噛み合っていないリズム感があって。そわそわするような、ふわふわした感覚に陥ってしまい、「これは何が正解なんだろう」と。
さらに、撮影から時間が経つ今、改めて向き合ってみて、人それぞれに答えがある作品だと感じています。演じる側としては(作品・役柄の)確信的な答えが欲しかったんですが、結局掴(つか)むことができないまま終わりました。でも今思うと、それが正解だったような気がします。とても演じるのが難しい台本でした。
―― 1950年代の長崎で生きる悦子を演じる上で、どのような思いを込めましたか?
広瀬:50年代の悦子さんは、戦争の傷や痛み、怒りを抱えながらも、未来に向かって希望に満ち溢れている女性だと思いました。新しい命を宿している中で、前に進むという選択をした女性として演じました。
でも、悦子さんにとっての戦争は、時間が経つほど、その傷が大きな穴のように広がっていく、体の一部に滲んでいくような体験だったのかなと。ところどころで記憶が分裂しているかのように見えるのも、嫌なことを忘れようとする症状の一つだと思います。その痛みは1980年代の吉田羊さんが演じられた悦子さんしか感じられない痛みで、別人のように見えました。被爆した女性への寄り添い方がこれまで関わった作品・観てきた作品とは全然違って、心がグッとなる感覚がありました。
―― 幼い娘の万里子と暮らす謎多き女性・佐知子を二階堂ふみさんが演じられています。共演はいかがでしたか?
広瀬:二階堂さんは憧れの方でした。10年くらい前に知り合ったんですが、今回改めて一緒にお仕事をして、唯一無二のパワーとエネルギーを持っている方だということを、佐知子さんというキャラクターを通して強烈に感じました。
映画『遠い山なみの光』(左から)広瀬すず、二階堂ふみ (C)『遠い山なみの光』製作委員会
佐知子さんの圧倒的な自由さは、今の時代の感覚に近いものがあると思います。女性だから、男性だからという枠がなくなってきている今の時代。でも当時としてはダメだとされているものに踏み込む勇気と、それを貫くのに、相当な強さが必要だったはず。今もやっぱり日本人には少し“守りに入る”感覚の人も多いと思いますが、佐知子さんはそんな中、自由さと強さを持ったまま生きていて。憧れを感じる人物像でした。
―― 佐知子と悦子の関係性をどう捉えましたか?
広瀬:最初は佐知子さんを一人の人物として見ていたんですが、「似ている」という言葉が作品内でも登場するように、何度か見返すうちに、二人の関係性がとても複雑で深く、近しいものだと感じるようになりました。どちらも悦子さんのような気もするし、どちらも佐知子さんのような気もする。二人がどこか重なり合うような不思議な感覚でした。
記憶というものの曖昧さや、人が過去をどう捉えるかという点で、この二人の関係性はとても興味深いものがありました。悦子さんが佐知子さんに投影しているものがあるのか、それとも佐知子さんが悦子さんに何かを映し出しているのか。1980年代の吉田羊さん演じる悦子さんを見て、そんな記憶が時間の経過とともにどう変化していくのか、すごく考えさせられました。