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“伝説のタッグ”JBエンジェルス結成40周年! 還暦を前に立野記代&山崎五紀が振り返る、「青春」そのものだった全女時代

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◆アメリカ遠征の一番の思い出は「バニラアイスの乗ったアップルパイ」


立野記代
――おふたりにとって、アメリカの水はすごく合ったんですね。

立野:ものすごく合いました(笑)。

山崎:間違いなく(笑)。

――そんなアメリカ遠征での一番の思い出を挙げるとすると、どんなことでしょうか?

立野:アップルパイとバニラアイスクリームですね。

山崎:私も言おうと思った(笑)。

立野:ケーキとか日本では食べなかったのに、朝昼晩食べて1ヵ月で15キロ太りました。そこから痩せなかった(笑)。

山崎:(笑)。あったかいアップルパイにバニラアイスが乗っかって出てくるんですよ! 「何これ~!」みたいな。あと記代はチョコレートバーが好きでよく食べてたよね。

立野:アメリカでは巡業の移動が大変でしたけど、ちゃんと太りました。周りが外国人の男子レスラーばかりだったので、すごく太っても自分ではまだ小さく思っちゃったんだよね。体重計に載っても、パウンド表示で。計算するとかなりの数字なんだけど…。

山崎:これは間違いだよねって言ってね(笑)。もう楽しい思い出しかない感じですね。

立野:嫌なことなんてなかったもんね。

山崎五紀
――そんな中、遠征から帰国されて、1989年に山崎さんが全女を引退されます。引退試合ではJB対決が実現しました。

立野:実は私も辞めるつもりでいたんです。薄々気づいた会社に「お前も一緒に辞めるのか?」と聞かれ、「五紀と一緒の時に辞めようと思うんです」と伝えたら、「先輩がみんないなくなったら大変だから、お前はちょっと残ってくれよ」と言われ…。最後は「もうお前は25歳だし、定年だから辞めろ」と言われたんですけど。

山崎:勝手だよね。

立野:引退後は全女が経営するカラオケボックスで店長さんをやらせていただいたんですけど、バイトと同じだけしかお給料をもらえなかったので、これじゃ生活できないとなり。手に職をつけたかったのでトリマーの学校にも行きましたが、私の天職はプロレスだなって思って、もう一生やるぞ!と復帰しました。

――そうしてデビュー30周年を迎える2010年まで現役を続けられたのは本当にすごいことです。そんな立野さんの姿を山崎さんはニューヨークからどのようにご覧になられていましたか?

山崎:楽しくやっているならいいんじゃないって思って見てました。

立野:でもよく「目標や目的はないの?」と聞かれました。「職業としてやってるよ」と答えたら、「それは私、意味わからない!」って(笑)。

――性格や考え方は真逆なんですね。

山崎:似てはいないですね。でもだからこそこれだけ長く続いているのかもしれません。

立野:仲良しです。21歳からは(笑)。

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◆辛くて厳しいことも多かったけど、全女時代は「青春」

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