小林千晃、木村良平と“相乗効果”の芝居合戦 『地獄楽』第二期は「圧倒されてばかり」
アニメ『地獄楽』の第二期が、1月11日よりテレ東系ほかにて放送される。「少年ジャンプ+」(集英社)にて人気を博し、シリーズ累計発行部数640万部を突破した賀来ゆうじの同名漫画をアニメ化した本作は、江戸時代末期を舞台に、抜け忍として死罪人となった主人公・画眉丸が最愛の妻と再会するため、打ち首執行人を務める山田浅ェ門佐切とともに不老不死の仙薬を探す姿を描く忍法浪漫活劇。第二期では、仙薬を巡る戦いは“人間”と“天仙”の全面対決へと突入する。クランクイン!では画眉丸役の小林千晃にインタビューし、第一期を振り返っての印象的なシーンのほか、第二期の見どころなどをうかがった。
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■『地獄楽』第二期のアフレコは「圧倒されてばかり」
――第二期決定を受けてのお気持ちを聞かせてください。
小林:とてもうれしかったですね。第一期が終わってすぐに発表となったので(※2023年7月)、この2年半の間はずっと心構えをしていました。また、その発表時点では新キャラクターを演じる声優さんが決まっていなかったので、「誰になるのかな?」とワクワクもしていて(笑)。
第二期のアフレコが始まるタイミングで鈴木崚汰さん(山田浅ェ門殊現役)、遊佐浩二さん(山田浅ェ門十禾役)、内田真礼さん(山田浅ェ門清丸役)、大原さやかさん(山田浅ェ門威鈴役)が出演されるのを知り、僕自身も第二期の放送が楽しみになりました。
テレビアニメ『地獄楽』第二期キービジュアル(C)賀来ゆうじ/集英社・ツインエンジン・MAPPA
――第一期から激動の展開が描かれていましたが、特に印象に残っているシーンは?
小林:第三話でしょうか。神仙郷にたどり着く前から、画眉丸は佐切のことを「他の執行人とは違う」という風に感じ取っていました。おそらく情のようなものも湧きはじめていたと思います。それが表れたように、佐切が旅の足枷になると感じて切り捨てようとしますが、画眉丸はできなかった。
そんな自分に戸惑い苦悩する画眉丸に対し、佐切は「それは弱さじゃない。強さの種よ」と言ってくれるんです。その言葉が画眉丸のターニングポイントになったと思うので、とても印象に残っていますね。
――佐切役・花守ゆみりさんとの掛け合いによって引き出されたものもあったのではないでしょうか。
小林:花守さんの演じる佐切は、執行人としての矜持も感じさせつつ、女性特有の柔らかさと、この年齢だからこその未熟さも内包されているんですよね。だから“がらんどう”と呼ばれる画眉丸も「ちょっと助け舟を出そうかな」と思ってしまう。
しかし、画眉丸が弱ってしまった時には、そんな佐切が引っ張ってくれる瞬間もあったりして、だからこそ良い関係性を築けていると思います。花守さんの演技があってこそ、そのバランスの良さも表現できているのではないかと感じていますね。
テレビアニメ『地獄楽』第一期 場面カット(C)賀来ゆうじ/集英社・ツインエンジン・MAPPA
――第二期からは、新たなキャラクター・キャスト陣も加わりました。そんな方たちとの掛け合いはいかがですか?
小林:第一期が分散収録だったので、第二期になって全員揃ってアフレコできることが本当にうれしいです。人数が増えたので、収録現場はギチギチなんですけどね(笑)。
第一期はほぼ2~3人での収録だったので、とても新鮮です。第十四話(第二期第一話)の収録の時には「『地獄楽』の現場じゃないみたいだ」なんて思ったと同時に、こんなに多くの方が関わっていたんだなと感動し、「こんな風に役を作っていたんだな」と驚いたり、皆さんの演技に圧倒されてばかりです。
――なるほど。では、第一期から登場していた方とも今回初めて掛け合ったり?
小林:そうなんですよ。士遠役の小林親弘さんやヌルガイ役の小市眞琴さんなど、掛け合いのないキャラクターを演じる声優さんたちとは第二期になってやっとご一緒できました。皆さんの演技はオンエアで確認はしていたのですが、アフレコ現場で生で体感すると「本物だ~!」という気持ちになりましたね(笑)。
――第一期でインタビューさせていただいた際は、アフレコでご一緒できなかったので、士遠と典坐(CV:小林裕介)のシーンの放送が楽しみだと言っていましたね。
小林:裕介さんには公私ともにお世話になっていて、典坐というキャラクターにかける熱い思いは聞いていました。裕介さんにとってかなり思い入れの深い役になっていたみたいです。牧田佳織監督や音響監督のえびなやすのりさんたちと話し合って大事に大事に作り上げてきたけれど……第八話で士遠とヌルガイを逃がすために自らを犠牲にしました。
それまで登場シーンも多くないキャラクターなのに、あの短い瞬間に詰め込まれた要素がすごく多くて。演出ももちろんあるのですが、裕介さんがそれまで典坐への解釈を深めていたからこそのシーンになっていて、あの典坐の散り際は今でも忘れられません。

