大東駿介主演『絶望できない男』9.17放送スタート 相武紗季&八村倫太郎が共演、主題歌はluv
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■大東駿介
生々しいまでの人間くささを体現し、座長として現場を牽引した大東。大阪府堺市出身である彼にとって、本作のような「しゃべくり」を存分に生かせる作品は、かねてより待ち望んでいた念願の企画だったという。
「原作と今回の台本を読んだときに“奥本(役名)は、絶対自分が演じたい”と思いました。自分が大阪に生まれ育った俳優として、いつかやりたいなと思っていた“しゃべくり人情”みたいなものをフルに出せる、それにぴったりな題材だなと感じて。原作の奥川さんの人間味みたいなものを自分の中でキャッチして、形にできるのも僕しかおらんのやないかなと思いました」。
関西を舞台にした本作で、大東は「言葉」を単なるセリフではなく、音楽のように捉えていたと語る。
「こと関西を舞台にした作品においては、やっぱり“しゃべくってるかどうか”というのが僕はめちゃくちゃ重要だと思います。ご都合主義な会話になってないか、ほんまにしゃべくって、人を転がしてるのかを常に意識しました。やっぱ関西弁ってすごい独特で、本に書かれているセリフを喋っているだけでは関西弁にならないんですよね。関西弁って“感情”が先に出てるんですよ。言葉が先じゃないんです。言葉って“道具”でしかなくて、もう“楽器”的というか。
音楽の授業みたいに楽譜通りに弾いているだけではダメで、音楽の裏にある“グルーヴ”で相手を乗らせてるんです。どんな音符を辿るかよりも、その奥のハートの部分がすごい大事で。その空間のことを分かってないと無理やし、関西弁って陽気な楽器やな、と思うんですよね。
だから、それをちゃんと表現できる、その解像度がある人が真ん中におらな成立せえへんな、って。僕は現場の“バンドマスター”みたいな気持ちでいたという感じですね。みんな横並びで楽器演奏するんやけど、自分はバンドマスターとしてどういう音を鳴らしたいか、演奏隊(スタッフ・キャスト)をちゃんと導きたいな、という気持ちでいました」。
そんな大東には、役作りの上で密かに抱いていた「裏目標」があった。
「“何をしでかすか分からない”という人物を演じるにあたって、現場でも“大東マジで何しでかすか分からへん”という空気を作れるかどうか。原作者の奥川さんって、枠にハマらない、アイデアで人を笑かし続けた人やと思うんですよ。僕が奥本という役に置いていかれてはいけないから、奥本を凌駕(りょうが)するアイデアを自ら出して、スタッフを面白がらせることができるかどうか。結果それができた時に、映像にその熱量は絶対残るはずやと思ったんです」。
その結果、大東を含めたスタッフ・キャストによる“アイデア合戦”が次々と生まれ、撮影現場はまるで学生時代のような、純粋な創作の熱気に包まれた。
「毎シーン毎シーン、自分なりのアイデアを持っていかせてもらって。普段俳優をやっていたら考えないようなことすら、各スタッフ、キャストが一緒になって考えたんです。照明のチーフから“毎シーン、大東くんが想定と違う動きをするのが楽しかったし、自分も毎回チャレンジさせてもらった”って言ってもらえて。
皆さんのプロフェッショナルな仕事が、ほんまに“楽しい!”となっていくような、マジで“俺ら映像の学校の課題を作ってんの?”っていうぐらい青春で、希望しかない現場でしたね。こちらのアイデアが皆さんの創作意欲を刺激して、“楽しい”と思ってもらえるってめっちゃ幸せやなと思いました。関わっている皆さんの熱量が、若い子も含めて、本当に端っこの隅々まで行き届いている、毛細血管のように端々まで新鮮な血液が流れている、そう感じる現場でしたね」。
不格好な「生き恥」こそが、いつしか自分だけの財産に変わっていくのかもしれない――。主演の大東は、自身と主人公・奥本の人生を重ね合わせつつ、もがき続ける日々のなかに確かな意味を見出していた。
どん底から這い上がる奥本の姿は、大東自身の壮絶な生い立ちと深くリンクしている。小学生の時に父親が蒸発し、中学2年生の時に母親も家を出ていくという想像を絶する経験。中学生にして一人きりで極貧のサバイバル生活を強いられた過去を持つ彼にとって、本作で描かれる姿は決して他人事ではなかった。
「幼少期に親に捨てられるっていう経験は、自分の存在価値を見失うことなんですよね。あの時マジで“自分っていらんねや”って思った人間が、今こうして自分自身を商売道具にして飯食ってるわけじゃないですか。それが僕の人生のすべてな気がするんです。大きく言えば、あの時の経験を今に応用して、“自身の短所こそ、一番の武器になり得るんじゃないか”って解釈しているんです」。
自らの根源にある絶望を、彼はこう振り返る。
「それで言うと僕はもう、“絶望が育てた男”みたいなところがあるんです。人から教わって覚えたことってほとんどなくて、怒られて学ぶこともあまりなかった。マジで“もう取り返しがつかへんやろ”っていうような絶望の中で学んできた人間なんで。なんでその中で消えていかなかったんやろな…。
いろいろなことを経験した結果、当然失ったものもたくさんありましたけど、そんな中でも“お前ほんまどうしようもないな”って言いながら見捨てずに支えてくれた人たちの温かさは、痛いほどわかるんです。
そうやって失敗を繰り返すうちに、自分の生々しい経験が、かえって同じように苦しむ誰かを救う材料にもなって。そうすると自ずと自分にも自信が湧いてくる。だから僕はやっぱり、“絶望が育んだ男”なんやと思います」。
多くのものを失うような挫折を味わいながらも、そのトラウマや這いつくばった日々すらも、彼は生きる糧として肯定する。さらに俳優の道を歩む中で、自身のコンプレックスすらも武器に変えてきた。
「イケメン俳優という枠に括られて“かっこよくいなければ”と囚われた時期もありましたけど、自分の嫌いな部分をあえて際立たせて商売道具にし始めたら、“あいつの歪(いびつ)さ面白いな”って評価され始めたんです。人間って結局、身体的なものも心情的なものも、“歪性”に興味を持つんやな、と。人と違う短所、人には誇れないようなものが、誰も持っていない財産に変わり得るんです。
“終わりを決めなきゃ失敗じゃない”という原作の奥川さんの人生って、まさにそうやなと思います。今は失敗が許されない時代のような風潮があるけど、歩みを止めなければ、失敗は財産になるんだっていうことを体現しているのが奥川さん。それは今の時代、かなりの希望になるんやろうなと思ったし、奥川さんにとって、リスクって“おもろい”の材料やったんですよね」。
大東は本作を通じて、どこか不寛容で「正解」ばかりを求めがちな現代社会に強烈なメッセージを投げかける。
「SNSって自分の足りないものを瞬間的に吸収できるから、何者かになったと錯覚できるじゃないですか。でも、足りないものを自覚してそれを埋めようとする、もしくは誇れるようにする作業こそが、自分という実像を浮かび上がらせる。今の時代、もうAIが作ったものかフェイク動画なのかもわからへんようになってきていて、ほんまになんかつまらんことになってんな、って。
だからこそ、マジで生身の面白さを出したろって感じがしましたね。失敗できるのが人間で、無様で不細工なのが人間やから。人間の“歪さ”みたいなものをもっと面白がれたらいいのになって思います」。
「僕、人生って“金継ぎ”やと思ってるんですよ。割れた茶碗を金で修復して、美しい模様に変えていく作業みたいなものやなって。自分は粉々に砕け散って直すのがめっちゃ大変やったものを、いま一生懸命一つずつ繋ぎ合わせて、造形美にしていってる感じがしていて。傷や挫折、“もう元に戻しようがないやろ”みたいなものが、より良い新しい、まだ見ぬ美しさのきっかけになるんじゃないかなって。
ただ、茶碗だけでは金継ぎできひんから。大事なのは、そこで“金”という仲間と共に新しい美しいものを作り上げてもらうこと。自分という割れた茶碗を、いろんな人が美しい金の模様で彩ってくれてる。そういう人生になればいいな、って。それが僕にとっての『絶望できない男』ですね。
このドラマを見て、自分を見返してもらって。僕自身も“生き恥”を晒してますけど、その“恥”が、全4話を見終わった後に“財産”に変わるような作品になっていると思います。“恥の多い人生でした”ということを懺悔(ざんげ)じゃなく誇りの言葉に変えて、自分の人間としての魅力にして生きていけたらな、と思いますね。平穏を求めてるはずやのに、平穏の中では生きた心地がせえへん。絶望の中に命を感じる。緩やかに生かされたいんじゃなくて、血反吐吐きながら生きたいんやな、って」。
その言葉の通り、すべてを失い、地べたを這いつくばってでも明日へ向かおうとする奥本の姿は、正解のない時代を不器用に生きる私たちを、丸ごと肯定してくれる。
