ノーラン『オデュッセイア』論争 マスク批判は的外れ? Varietyが指摘したアカデミー賞規定の“誤解”
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『インターステラー』や『TENET テネット』、『オッペンハイマー』など、映画史に残る名作を生み出して来たクリストファー・ノーラン監督による待望の新作『オデュッセイア』。キャストが解禁されると、人種を巡って一部から批判の声が噴出するなど、思わぬところで注目を集めた。実写版『白雪姫』や『リトル・マーメイド』、ドラマ『ロード・オブ・ザ・リング:力の指輪』でも、行き過ぎたポリティカルコレクトネスだと論争が巻き起こるなど、近年よく見られる言説だが、老舗エンタメ誌『Variety』では、その代表格と言えるイーロン・マスクの主張を取り上げて誤りを指摘し、真向勝負を挑む形に。両者のやり取りがとても興味深いうえ、争点が分かりやすいので、流れを追ってみる。
【写真】議論を呼んだキャスト3人
■キャスティングを巡り批判が噴出、マスクも参戦
長編映画史上初の全編IMAX撮影を行い、圧倒的な没入感をうたう本作は、紀元前8世紀から前7世紀ころに作られたホメロスの叙事詩「オデュッセイア」を基に、トロイア戦争の英雄オデュッセウスが家族の元へ戻るまでの10年の及ぶ壮大な旅路が描かれる。オデュッセウスをマット・デイモン、故郷で待つ彼の妻ペネロペをアン・ハサウェイ、息子テーレマコスをトム・ホランドが演じ、ペネロペに言い寄るアンティノオス役のロバート・パティンソンほか、ゼンデイヤやシャーリーズ・セロンら豪華キャストが顔を揃える。
しかし今年2月、原作に「色白」で「金髪」、戦争を引き起こすほど美しいと描写されているヘレネーを、『それでも夜は明ける』でアカデミー賞を受賞したアフリカ系のルピタ・ニョンゴが演じるとのうわさが出ると、X(旧ツイッター)上では、ホメロスに対する「侮辱」だという批判が噴出。マスク氏は早速、そうした投稿の1つにコメントする形で、「クリス・ノーランは品位を失った」と非難した。
ルピタ・ニョンゴ
そして5月、TIMEの特集記事で正式に、ルピタがヘレネーと、ヘレネーの姉クリュタイムネストラの二役を演じることが明らかになると、保守派政治評論家のマット・ウォルシュがXに、「ルピタを“世界一の美女”と考える人はいないが、クリストファー・ノーランは、“世界一の美女役”に白人女性を起用したら差別主義者を呼ばれると知っている。ノーランは確かに天才かもしれないが、臆病だ」とコメント。
マスク氏は13日、この投稿に「事実だ」と反応したほか、「ノーラン監督ら多くの監督が白人のキャラクターの人種を変更するのは何故だ?」という投稿に、「彼は賞が欲しいのだ」と返した。また、トランスジェンダーのエリオット・ペイジがアキレウス役を演じるといううわさについても、「これまで聞いたなかで一番バカげた、ねじ曲がった話だ」と主張。HUFFPOSTによれば、マスク氏は「クリス・ノーランはギリシア人を侮辱した」と投稿するなど、数日にわたって監督への怒りを投稿し続けたという。
■ Varietyが反論、アカデミー賞規定の“誤解”を指摘
ここまで、マスク氏らの主張を淡々と報じていたVarietyだが、このタイミングで反論する方針に転じる。13日のマスク氏の発言を報じた記事では、アカデミー賞作品賞には確かに多様性と包括性の基準が設けられているが、対象範囲が多岐に及ぶため「実は、キャスティングはほとんど関係がない」と指摘。同日中に改めて掲載した別の記事では、「イーロン・マスクと彼のトロール軍団による攻撃が、愚かであるのみならず非常に不正確な理由」と題して、前の記事で触れたアカデミー賞作品賞の規定について、以下のように詳しく説明した。
この規定では、女性、人種・民族的マイノリティー、性的マイノリティー、障害者などを少数派グループと位置づけ、以下4項目のうち、2つの項目の順守が求められる。
A)主要キャストに一人以上少数派グループの人材を起用するなど、スクリーン上の表現やテーマ、物語に少数派を反映。
B)制作各部門のリーダー職に少なくとも2人少数派グループの人材を起用するなど、スタッフの構成に、少数派を反映。
C)製作会社や配給会社において少数派グループを対象としたインターンシップ制度や研修制度を実施。
D)広報やマーケティング、配給など観客に関わる部門トップに少数派グループの人材を起用。
補足すると、この規定は、2016年授賞式で演技部門の候補者が全員白人であったことから「#白すぎるオスカー(OscarsSoWhite)」と批判されるなど、長く多様性に欠けることを問題視されてきたアカデミー協会が2020年に発表し、2024年から正式に実施されたものだ。Varietyは、ノーラン監督の前作『オッペンハイマー』は、キャストがほぼ全員白人だったにもかかわらず(日本の被害に十分触れていないと批判されたことからも分かる)、B、C、Dの項目を満たしたことで、作品賞と監督賞を含む7つのオスカーを受賞したと指摘。
さらに、現存する最古の文学の一作として知られる「オデュッセイア」は、そもそも、神々や巨人、6頭12足の怪物などが登場する作品であり、キャラクターは想像の産物である側面が強いことを示唆。同作におけるアキレスとヘレネーの役どころは比較的小さいと説明したうえで、保守派が絶賛する、アキレスにブラッド・ピット、ヘレネーにダイアン・クルーガーを起用した『トロイ』(2004)が、原作であるホメロスの「イリアス」のストーリーを逸脱している点も皮肉った。
エリオット・ペイジ
マスク氏の怒りは収まらなかったと見え、5月15日にも「クリス・ノーランはアカデミー賞の資格を得るために『オデュッセイア』を冒涜した」とXにて投稿。するとVarietyは17日の記事で、「彼は実際には答えを求めていない。だが、あえて答える」として、アカデミー賞98年の歴史を振り返り、1929年に開催された第1回授賞式で作品賞を受賞した『つばさ』から、2026年の第98回授賞式の『ワン・バトル・アフター・アナザー』までを精査し、全受賞作品がこの規定を満たしていることを表にして提示。もはやムキになっていると思えるほどのエネルギーで、基準がいかに甘いものであり、満たすためにノーランがニョンゴやペイジを起用したという理論に根拠はないと訴えた。
なお本作については、ほかにも、吟遊詩人役としてラッパーのトラヴィス・スコットが出演していることや、鎧の質感やデザインが現代的であることなどに疑問が呈されているが、この2点についてはノーラン監督本人が、TIMEのインタビューで意図を説明している。
スコットの起用は、物語が口承詩として伝えられて来たことを意識したもので、吟遊詩人の口調はラップに似ているとコメント。また鎧については、「黒ずんだ青銅製のミケーネ文明の短剣が存在する」ことから、「当時、青銅を黒く染める技術は存在した可能性が高い」とし、高貴な存在であることを表現するために、当時高価だったと思われる素材を用いたと説明した。
トラヴィス・スコット
こうした論争が『オデュッセイア』の足かせとなることはなかったようだ。アメリカで6月4日にIMAXなどPLF(プレミアム・ラージ・フォーマット)上映のチケットが発売されると、アクセスが集中したため、大手映画館チェーンAMCのチケット販売アプリが一時ダウン。映画チケット販売サイトのFandangoも動作が遅くなったという。上映館の限られるIMAX 70mm版のチケットは昨年夏に発売され、1年前という異例の発売時期にも関わらず、公開週末の上映回は即座に完売。PeopleによるとeBayでは、手数料込で通常25ドル~35ドル(約4000~5600円)のIMAX 70mm版チケットが、1枚500ドル(約8万円)以上で転売されているという。
映画『オデュッセイア』はアメリカで7月17日、日本で9月11日に公開される。
(文:寺井多恵)

