クランクイン!

  • クランクイン!ビデオ
  • クラインイン!コミック
  • クラインイン!トレンド

  • ウェブ全体を検索
  • このサイト内を検索

有村架純、ドラマ・CMで光る“潔癖さ”“頑なさ”“無防備”さが同居する魅力

エンタメ

■潔癖さ、頑なさ、無防備さが同居する魅力

 こうした有村の少女っぽさが光っていたのは、『中学聖日記』(TBS系)だ。有村が演じた教員の末永聖は、教え子たちに「聖ちゃん」と“ちゃん呼び”されてナメられつつも、本人はしっかり大人として、担任として、生徒たちのことをかわいいと思っているし、教師という仕事や授業にやりがいや生きがいを感じていた。

 そのあたりの本人の自覚・認識と、相手の受け止め方のズレはおそらく、中学生と教師という、普通ならありえない恋を成立させてしまう条件の一つになっていたのだろう。これは先述のCMに見る有村の愛らしさとも共通してくる。

 だからこそ、教え子である中学生・黒岩(岡田健史)に本気で告白され、大人ぶった調子で「ありがとう」と返したにもかかわらず、教え子である中学生との恋にどんどんのめり込んでいってしまう。例えば、思春期男子である黒岩に対して、大人の上から目線で「綺麗な顔してるね」などと、生徒の容姿を“評価”してしまう、教師としてありえない素直さや無邪気さ。ケガをした男子生徒を、処置のためとはいえ、夜に自宅に入れてしまうような無防備さ。どれもこれも、自ら蒔いた種ばかりである。

 しかし、客観的に見れば、誰もが分かりそうな二択の明らかに間違いのほうの道をことごとく選んでいく、計算のない聖ちゃんは、ある種の「先生」っぽい。有村は一見、親しみやすく優しく愛らしい童顔・タヌキ顔だ。しかし、ギュッと結ばれた小さな口元には、潔癖さや硬さ、真面目さ、ある種の頑なさが漂う。柔らかさと素直さ、無防備さと、頑なさや潔癖さが同居しているために、スキだらけに見えて、ひとたび近づこうとすると完全に扉を閉ざして拒絶されそうでもある。これはまさしく未成熟な少女的魅力だろう。

 思えば、気鋭の監督・脚本家たちが描く、WOWOWの『有村架純の撮休』は、そうした「有村架純」に抱くさまざまな人の思いを、形を変えながら具現化したものでもあった。ところで、以前、有村を一度だけ取材させていただいたことがあったのだが、どこか森の小動物のような警戒心を全身から漂わせながらも、物静かで丁寧で、しかし、きっちり正確なディテールを盛り込みつつ明確な論旨で語る姿は、まさしく思い描いていた、望んでいた通りの有村架純だった。

 決して大きな芝居をするわけではなく、目線の運び方や、口元の微妙な力の入り方などで、心情変化を繊細に表現する有村架純。非常に「映像的」な魅力を持つ女優だ。それだけに、彼女が画面に現れると、その表情の奥の心がのぞきたくなって、ついつい見入ってしまうのだ。

<田幸和歌子>
1973年生まれ。出版社、広告制作会社勤務を経てフリーランスのライターに。週刊誌・月刊誌等で俳優などのインタビューを手掛けるほか、ドラマコラムをさまざまな媒体で執筆中。主な著書に、『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)、『KinKiKids おわりなき道』『Hey!Say!JUMP 9つのトビラが開くとき』(ともにアールズ出版)など。

2ページ(全2ページ中)

関連記事

あわせて読みたい


最新ニュース

  • [ADVERTISEMENT]

    Hulu | Disney+ セットプラン
  • [ADVERTISEMENT]

トップへ戻る