加藤綾菜、夫・加藤茶と歩んだ10年 世間の“手のひら返し”には「揺るがないことに決めました」
加藤茶との“45歳差婚”で注目され、一時は壮絶なバッシングも受けた加藤綾菜。今では病に倒れた夫を献身的に支える妻として「いい人すぎる」などとも言われているが、そうした世間の変化をどう見ているのか。結婚10周年を迎えた彼女が、初めてコミックエッセイに挑戦した『加トちゃんといっしょ』(双葉社)の中で描いた夫婦のこと、バッシングのこと、子どものことなど、気になることを本人に直撃した。
【写真】カジュアルなパンツスタイルで気さくにインタビューに応じてくれた加藤綾菜
■ ずっと葛藤していた“子どものこと” 入稿1週間前に「加トちゃんがいればいい」と思えるように
――初めての漫画とエッセイだそうですが、すごく読みやすくて一気読みしてしまいました。
加藤:もともと日記は毎日つけていたんですが、漫画は全く経験がないから1年半かかったんです。(頭頂部に髪1本という)加トちゃんのイラストも、はじめはもっと髪の毛があったんですが、それでは加トちゃんだと伝わらないし、45歳差が漫画では出ないこともあって、葛藤しながらもなんとか完成できて良かったです。
――いちばん葛藤したのはどんな点でしたか?
加藤:やはり子どものことです。これまでは子どものことを聞かれるたび、「考えていないです」「ほしかったけど、今は夫婦で楽しくやってます」ぐらいの軽い話しかしていませんでした。
でも、いざ本当の気持ちを書くとなったら、どこまで書いていいのか悩み、入稿3日前ぐらいにやっと終わったんです。加トちゃんにも見せて、「友達の言葉で葛藤して切なくなったり苦しかったりした部分とか、書かないほうがいいよな」と聞いたら、「全部正直に書きなさい」と言われて、120%で書くことに決めました。
子どものことを描いた部分の漫画は、あえてセリフを入れていないんです。描いた当初はつけていたんですけど、そんなちょっとのセリフじゃ葛藤が書けなかった。それで文章にしましたが、加トちゃんに背中を押してもらってようやく自分の中で整理できたというか。書きながら泣きました。
――それはこれまで向き合わないようにしてきたことですか?
加藤:そうですね。出産していく友人知人に言われた言葉など、その場では笑っていても、自分の中に思いは蓄積されていってたんだと思います。それで今回、加トちゃんにこうした葛藤を書く直前に話したら、「綾ちゃんが子どもほしいって言うなら、体がボロボロになってもいいから、不妊治療でもなんでもやるよ」と言ってくれて、そこで目が覚めたんです。「加トちゃんがいればいいんだ」と心から思えたのが入稿1週間前でした。
■「加トちゃんは私が守らんといけん」病気がきっかけで芽生えた“母性”
――結婚生活10年の中でお互いへの思いや関係性に変化はありましたか?
加藤:付き合っていたときより結婚してからのほうが、加トちゃんは優しいです。結婚してからは、誕生日にサプライズでバラ100本をくれたり、私の家族を大事にしてくれたりするんですよ。
加トちゃんは、私がこんなに良くしてくれると思わなかったと言ってくれました。「だいたい女性は2~3年で変わるけど、綾ちゃんはずーっと優しくて、ずっと僕を一番にしてくれるから、大事にしたいと思う」と言われました。私、めっちゃ大事にしていますから (笑)。
――介護の資格をとったのも、司法書士の勉強をしていることも、加トちゃんを守りたいからだそうですね。
加藤:加トちゃんが、私の生きる原動力になっていますから。子どもがいない分、自分にあっただろう母性の120%が加トちゃんに向かっています。今、犬を2匹飼っていて、犬たちに対しても母性はあるんですけど、その100倍ぐらい加トちゃんに注いでいると思います。それまで私はめっちゃクールで、男性に尽くしたことなどなかったので、加トちゃんに引き出された感じです。私が加トちゃんを産んだんじゃないかって思うくらい(笑)。実際、破水して出てきたら加トちゃんだったという夢を見るんです。
――ぜひ本の続編で書いてください(笑)。
加藤:いや、さすがに気持ち悪いなと思って、本には書かなかったんです(笑)。ただ、ここまで母性が強くなったのは、たぶん加トちゃんが病気になったのがきっかけです。それまでいつも力強く引っ張ってくれていた無敵の加トちゃんが、何もできない状態になったとき、「私が絶対守らんといけん!」みたいな気持ちが芽生えました。毎日リハビリなどに付き合っていく中で、また別の愛情が生まれた感じです。
――でも、母性が原動力になっているからこそ、45歳という年齢差がつらくなってくることもあるのではないですか?
加藤:加トちゃんの76歳の誕生日のとき、私の父が一緒にお酒を飲んでいて、突然号泣したんですよ。「歳を取れば取るほど一緒にいる時間が短くなる」とか言って。父もいろいろ考えてくれていたみたいですが、私自身は、だからこそ健康でいてもらうために頑張れるところがあります。それに、生まれ変わっても絶対また一緒になろうという夫婦の約束があるんです。