山田孝之「年齢を言い訳にさせねえぞ」 阿部進之介と語る“いい芝居”とは
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俳優・山田孝之がメインパートナー、阿部進之介がパートナーとして参加する俳優発掘プロジェクト『THE OPEN CALL ‐MAIN PARTNER 山田孝之‐』。年齢や経験、所属、国籍などにとらわれず広く門戸を開いたオーディションには、約1万4000人が応募した。経験豊富な俳優から、今回初めて芝居に挑む人まで――さまざまな候補者と向き合う中で、二人が見つめていたものとは。「年齢を言い訳にさせねえぞ」と語る山田と、「演技がうまい」よりも「芝居がいい」という言葉がしっくりくると話す阿部に、審査を通して見えてきた“俳優の芝居”について聞いた。【インタビュー前編】
【写真】“ザ・俳優”な佇まい! 渋くてかっこいい山田孝之&阿部進之介
■山田孝之「年齢を言い訳にさせねえぞ」 約1万4000人の中で見つめた“いい芝居”とは
――これまで1次~4次と審査を重ねてきましたが、ご自身の中で「うまくいっている」と感じるような手応えはありますか?
山田:もちろん、あります。審査を重ねる中で、いい芝居に出会うたびに「最高だな」と何度も感じていて、僕にとってそれが何よりの手応えです。今回の審査を通して、さまざまな才能と出会うことができています。候補者の中にはすでに俳優として活動されている方もたくさんいますが、僕自身、今回初めてその方の芝居を見るというケースも多くて。「こんな役作りや芝居へのアプローチがあるんだ」「自分では思いつかないな」と感じることもあり、見ていてすごくワクワクします。
阿部:僕はリモートで参加することが多かったので、残念ながら現場の熱量を直接感じられていない部分もあります。ただ、その分、完成した映像では自分が知らなかった出来事を初めて目にすることも多くて、一視聴者に近い感覚で楽しむことができました。「こんなことが起きていたんだ!」と驚く場面もたくさんありましたし、客観的に見ても「これは面白いぞ」と感じています。実際、エピソード0を見たときには、純粋に「早く次のエピソードを見せてくれ!」と思いました(笑)。自分自身が続きを楽しみにしているので、皆さんにも楽しんでいただけるものに仕上がっていると思います。
――候補者の皆さんの芝居や、審査に臨む姿をご覧になって、感じたことはありましたか?
阿部:僕は細かい経過まですべて見られているわけではないのですが、完成した映像を見ると「素晴らしいな」と思う瞬間がしっかりと切り取られているんです。だからこそ、一視聴者として現場で体感できなかったパートを見るのを純粋に楽しみにしています。
山田:僕は、ここまでの審査の過程で何度も合格発表に立ち会ってきました。当然、そこで不合格になる方もいます。不合格だと分かった後に目が合うと、すごい目で見られることもあって。それだけこのオーディションに懸ける思いが強かったんだな、悔しいんだろうなということを感じました。でも、そこで腐らないでほしいと思っています。合格者と不合格者では結果として立場は違いますが、俳優としてそれぞれのスタートラインに立っているという意味では同じです。スタート地点は人それぞれ違っても、みんながそれぞれのスタートラインに立っている。そのことは候補者の皆さんにも伝えています。
山田孝之
――エピソード0を拝見しましたが、候補者の皆さんが「このオーディションに懸けている」という強い思いが伝わってきました。15歳以上であれば年齢の上限を設けず、幅広く門戸を開いたことも、その熱量につながっているのでしょうか?
山田:そもそも、俳優という仕事に年齢はあまり関係ないと思うんです。極端な例を挙げれば、大河ドラマで主演を務める方が、10代から60代までひとりの人物を演じることもあります。年齢というのは、単純に「何年生きてきたか」という数字でしかなくて。役を演じるとなれば、また話は変わってくると思います。
阿部:だから、年齢で絞る理由がないんですよね。
山田:そう。今回は「こういう役の人を探しています」というオーディションでもありませんから。それに、視聴者の皆さんにも「何歳からだって俳優になれる」「俳優という仕事に年齢の制限はない」ということを知ってもらいたかったんです。15歳以上としたのは、参加時間など労働上の制約を考慮したもので。上限を設けなかったのは、まず俳優とはそういう仕事なんだということを知ってもらいたかったからでもあります。
阿部:本当は年齢も含めて、すべてオープンにしたかったんです。ただ、年齢によって参加できる時間に制約があったり、保護者の方に来ていただく必要があったりと、撮影上の都合もあって今回は15歳以上としました。一方で、上限を決める理由は基本的にありません。映画を作るうえでは、どの年代の俳優も必要ですし、僕にはできないことを10代の俳優ができることもありますから。だから、「制限を設けなかったから熱量が生まれた」と単純に言えるわけではないと思います。ただ、最初から何かのフィルターをかけて選別せず、「誰でも来ていいですよ」と門戸を開いたことに対して、候補者の皆さんが強い思いを持って応えてくれた部分はあるのかもしれません。
山田:あと、僕の性格と言葉で表現するなら、「年齢を言い訳にさせねえぞ」っていうことです。実際、「今回初めて芝居をします」という方もたくさんいました。「もしここで残ることができたら、今の仕事を辞めます」と話していた方もいて。それくらいの覚悟を持って参加してくださった方もたくさんいました。
――経験を積んできた方が、その経験を武器にオーディションへ臨む一方で、未経験だからこそ発揮できる力もあるように感じました。お二人が、そうした“経験のなさ”がプラスに働いていると感じた瞬間はありましたか?
山田:あります。俳優や芝居に対する知識がないからこそできることもあると思います。逆に、経験や知識が邪魔になることもあったりして。中途半端に知識があると、「こういうことをすると下手に見える」といったことが分かってしまって、思ったままに芝居ができなくなることがある。逆に経験のない方は、そもそも「芝居とはこういうものだ」という固定観念がないので、肩の力を抜いて臨めるんです。知識や経験があることで「芝居とはこうあるべきだ」と頭で考えすぎてしまうと、なかなかいい芝居が出てこないこともあります。その違いは、審査をしていてはっきりと見えることがありました。
阿部:僕は審査の過程をすべて見られているわけではありませんが、そういうことはあると思います。経験がないからこそ、その瞬間に生まれた感情を勢いのまま表現できたり、迷いなく飛び込めたりすることがあるんですよね。ここで言う「勢い」は、単純に声が大きいとか、動きが速いということではありません。その瞬間に生まれた感情を、余計なことを考えずに出せる強さというか。知らないからこそ、そうしたものが一気に出てくる瞬間はあると思います。今回の現場でも、きっとそういうことが起きているんだろうなと感じています。
阿部進之介
――2次審査、3次審査を拝見して、「演技がうまい」ことと「目が離せない」ことは別物なのだと感じました。候補者を絞る際、お二人をはじめ審査する皆さんの中で、共通して大切にしていたことはあったのでしょうか?
山田:共通していたのは、もう「芝居がいいかどうか」でしかないと思います。ここに至るまでは、強烈なキャラクターや個性があって「この人を残したい」と思うこともありました。でも、最終的なゴールは“長編映画のメインキャストを決めること”ですから。キャラクターが魅力的というだけでは、そこにはたどり着けないんです。ひとつの芝居で強烈に惹き込むことができたとしても、それだけでは一本の映画は作れません。ひとりの役の人生を描いていく中では、さまざまな状況が起きて、いろいろな感情が生まれる。だから、泣く芝居がすごくいい、怒る芝居がすごくいい、それだけでも成立しないんです。
阿部:“普通”も演じなければいけないですからね。
山田:そう。“普通”といっても、その人自身として普通にいるのではなく、決められたセリフがある中で、その役として普通に存在しなければいけない。それはかなり難しいことだと思います。「芝居をしているな」と見えてしまったらダメなんです。
阿部:今回改めて素晴らしいチームだと感じたのは、細かく言語化しなくても、審査する側の方向性がある程度一致していることです。迷ったときには「どうする?」と話し合って、言葉にしながら認識をすり合わせることもありますが、基本的にはみんな同じようなものを感じ取っているんだと思います。
――なるほど。
阿部:あと、今お話ししていて思ったのですが、僕は「演技がうまい」という表現には少し引っかかるんです。「うまい」という言葉には、「テクニカルである」という意味が含まれることもありますよね。でも、うまくやろうとすること自体が、芝居の邪魔をしてしまうこともある。だから僕としては、「演技がうまい」よりも「芝居がいい」という言い方のほうがしっくりきます。テクニックではなく、そこにちゃんと役として存在していて、その役の感情がこちらに伝わってくる。それを見たみんなが共感できたかどうか、ということなのかなと思います。
山田:それでしかないと思います。例えば「阿部進之介という俳優が、この役を演じている」と見えてしまったらダメなわけです。「この役としてここにいる」と感じられなければいけない。その場面では限られた会話しかしていなくても、「この人物はおそらくこういう境遇で生きてきて、この先はこう生きていくんだろうな」というところまで見えてくる。それが大事なんだと思います。
