ウォーレン・ベイティ
ウォーレン・ベイティの詳細情報・プロフィール
- 生年月日
- 1937/3/30
- 出身地
- アメリカ/ヴァージニア州
- 詳細
- 本名はヘンリー・ウォーレン・ベイティ。アカデミー賞主演女優賞を受賞したハル・ベリーに、「私の師ウォーレン・ベイティに感謝します」という言葉を捧げられた、ハリウッドに君臨する往年のプレイボーイ俳優。彼女とは、監督・脚本・出演の政治コメディ「ブルワース」(98)で共演した。 「アパートの鍵貸します」(6 )の女優シャーリー・マクレーンの弟としても有名な彼は、著名な音楽家アイラ・ベイティと元舞台女優キャスリン・マクレーンの息子として生まれた。子供の頃からアマチュア劇団に参加し、高校時代はアメフト選手として活躍。奨学生として1 大学から誘いを受けたというから、相当な腕前だったはず。それらを全て断り、自力で入学した大学を1年で中退。本格的に俳優の道を歩むため、NYに出て名演技指導者ステラ・アドラーに師事した。TVや舞台で経験を積んだ後、61年に「草原の輝き」で映画デビューを果たし、故ナタリー・ウッドと愛し合う高校生を演じて、青春スターとして一躍人気を得た。ロバート・ワグナーと離婚したばかりのナタリーとは、しばらく本当に付き合っていたことも。しかし、“第二のジェイムズ・ディーン”、すでに有名女優だった“シャーリー・マクレーンの弟”と呼ばれ続けて荒れた彼は、その後キャリアを伸ばせずにいたが、当時無名だった脚本家のシナリオに惚れ込み、自ら製作も買って出て、67年に「ボニーとクライド/俺たちに明日はない」を送り出す。アメリカン・ニュー・シネマの先駆的作品として映画史上に残り、後に様々な映画に影響を与えたこの映画で、ウォーレンは共演のフェイ・ダナウェイと共に大ブレイク。映画はアカデミー賞で1 部門にノミネートされ、エステル・パーソンズの助演女優賞と撮影賞を受賞。ただのハンサムな人気スターであることに満足しなかった彼は、「シャンプー」(75)以降、ほとんどの出演作品で製作・脚本も務め、ファンタジー「天国から来たチャンピオン」(78)では監督としてもデビュー。再び、アカデミー賞で監督賞を含む9部門にノミネートされ、非凡な才能を見せつけた。自らのリベラルな政治信念を反映させた歴史ロマン「レッズ」(81)では見事、監督賞を受賞。その後しばらくは映画界から身を引いていたが、87年に製作・出演で復帰したコメディ「イシュタール」は、キャリアに傷をつけたと言われるほどの大失敗作、3年後に監督・製作・出演を務めたアメコミの実写版「ディック・トレイシー」(9 )も不評で、往年の輝きは失われていった。コメディ「フォルテ」( 1)では、すっかりお爺さんなのに、相変わらず女性に手が早い男を演じているのは実に彼らしい。以降、出演作はない。 デヴィッド・リンチの映画で有名になったマルホランド・ドライヴで、「バグジー」(91)での共演が縁で結婚した妻アネット・ベニングと4人の子供たちと暮らしている。かつては名うてのプレイボーイで婚約魔として名を馳せた彼、過去にはナタリー・ウッド、レスリー・キャロン、ジュリー・クリスティ、ミシェル・フィリップス、ダイアン・キートン、マドンナ、イザベル・アジャーニなどと浮名を流していた。
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活動内容
映画、舞台 - 引用元リンク
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「ウォーレン・ベイティ」に関するFAQ
Q.ウォーレン・ベイティの生年月日は?
A.1937/3/30
Q.ウォーレン・ベイティの出身地は?
A.アメリカ/ヴァージニア州
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