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〈高橋ヨシキの最狂映画列伝〉Vol.1『ザ・フライ』が描いた恐怖の本質――男性性が怪物と化すとき

映画

■ブランドル博士は何を真に恐怖していたのか

 ブランドル博士はヘテロの男性なので、「セックス・モンスター」化する過程はトキシック・マスキュリニティ(有害な男らしさ)への急接近と並行して進行する。酒場でゴロツキ相手に腕相撲に挑み、それに付随する「トロフィー」として女性を研究室に連れ帰るとき、そこにいるのはもはや内気で変わり者の科学者ではない。それは「男性性の怪物」である。ただ、この「男性性の怪物」と化すことに対するブランドル博士のアンヴィヴァレンスが本作の悲劇性を担保していることは言うまでもない。片方の耳が腐り果てて落ちたときーーこれもやっぱり「字義通り」に解釈するべきで、ここでは彼が「人の話にもはや耳を貸さない存在となりつつある」ことが示されている――ブランドル博士は「ぼくは怖い」と吐露してしまう。その恐怖は内なる他者に存在を上書きされる恐怖である。

『ザ・フライ』(1986)より 写真提供:AFLO
 本作をHIVのメタファーとして考えた場合に問題となるのは、「ハエ」の存在があくまでも外的な要因に留まってしまうということである。『ザ・フライ』の恐怖の本質は内側から――性的に――自分が書き換えられてしまうところにあり、内的な部分が外的な全体を決定してしまうというところにある。これはクローネンバーグ作品でたびたび繰り返されるテーマでもある。「ハエ」はあらかじめブランドルの中に存在していたのだ。映画の前半には、転送実験に失敗したヒヒの胴体がトポロジー的に裏返ってしまうという場面がある。まさに「内面が外面と入れ替わって」いたわけだが、それと同じことがブランドル博士の場合も起きていたのである。ただ、ヒヒの場合が逐語的な表現だったのに対して、ブランドル博士の場合はそれが修辞的に行われていたということだ。

『ザ・フライ』(1986)より 写真提供:AFLO

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■マシンとの融合がもたらした超・男性性の悪夢

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