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〈高橋ヨシキの最狂映画列伝〉Vol.1『ザ・フライ』が描いた恐怖の本質――男性性が怪物と化すとき

映画

■マシンとの融合がもたらした超・男性性の悪夢

 このように考えると『ザ・フライ』は男女のヘテロセクシャルな営みについておそろしく悲観的なビジョンを示した作品に見えてくる。ヒロインのヴェロニカ(ジーナ・デイヴィス)の視点に立って考えるとそれがより明白になる。元恋人で上司のステイシス(ジョン・ゲッツ)は下品でセックスに未練たらたらの男として描かれるが、そういうトキシックな男性性の対極にあると思われたブランドル博士が結局ステイシスをはるかに越える男性性のモンスターと化すわけで、そこに救いは全くない。なおステイシスの人物像は不快ではあるものの、映画内で彼に課される懲罰が明らかに過剰だということは指摘しておきたい。そこではモラル・テールの幅を完全に逸脱した「復讐」が行われている――ここで重要なのはステイシスがヴェロニカを堕胎クリニックに連れて行ったことで、それに激昂してヴェロニカを奪還するブランドルフライは「プロ・ライフ」を訴え産婦人科にテロを仕掛けるような、ファナティックで家父長制に取り憑かれた男のようにも見える。

『ザ・フライ』(1986)より 写真提供:AFLO
 衝撃的なラストシーンについても検討する必要がある。ヴェロニカと融合しようと試みたブランドルフライは、ステイシスが機械を銃撃したことで転送機の一部と融合し、グロテスクなバイオメカノイドと化してしまう。『ザ・フライ』の転送機のデザインがクローネンバーグ所有のブガッティのバイクのシリンダーを模していることはよく知られているが、そのことを踏まえてブランドルフライがバイクと奇形的な結合を果たした、と考えるのは行き過ぎだろうか? 『スコピオ・ライジング』(1963)が夢想したマチズモとモーターサイクルの融合を実体化したのがブランドルフライ=テレポッドではなかったのか? 高速でピストンが往復し、混合気が爆発を繰り返すバイクのシリンダーと一体化したことでブランドルフライは超・男性性を手に入れられたのだろうか? そうかもしれないし、そうではないかもしれない。憐れみを誘うブランドルフライ=テレポッドの造形は、機械的なファリック・シンボルと合一を果たしたことによって、逆に身体の自由を失い粘液の中を這いずり回ることしかできない存在となってしまった悲哀を表現しているようにも見える。ここではセックスは完全に恐怖の対象である。何より恐ろしいのは、その恐怖が現実のセックスと直結しているところで、我々はブランドルフライの、あるいはブランドルフライ=テレポッドの中に、セックス・ファンタジーを追い求めた果ての自分の姿を見るのである。

『ザ・フライ』(1986)より 写真提供:AFLO
<高橋ヨシキ>1969年生まれ。早稲田大学第一文学部中退・復学のち除籍。雑誌、テレビ、ラジオ、インターネットなどメディアを横断して映画評論活動を展開。著書に、『悪魔が憐れむ歌』(洋泉社)シリーズ、『高橋ヨシキのシネマストリップ』(スモール出版)シリーズ、『暗黒ディズニー入門』(コア新書)、『高橋ヨシキのサタニック人生相談』(スモール出版)など。8月26日より、長編監督デビュー作『激怒』の公開が控える。

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