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絶頂期に突然アメリカへ渡った大野拓朗が目指す“ハリウッドスターへの道” 来春からはLAを拠点に

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大野拓朗
大野拓朗 クランクイン! 写真:高野広美

 ハリウッド進出を目指しながら日本での仕事も精力的に行い、7月からは音楽劇『クラウディア』Produced by 地球ゴージャスに主演するなど、日米を拠点に活動している俳優の大野拓朗。2019年にそれまでの所属事務所を退所して単身アメリカへと飛び出した彼だが、夢を追いかける原動力となったのは、後悔しないよう、一度きりの人生を大切にしたいという思いだという。挫折と努力を重ねながらコツコツと役者道を歩んできた大野の最大の武器は、「自分に自信がないからこそ努力する」という粘り強さ。苦しんだ初ミュージカルや、「これまで支えてくれた人たちに恩返しするためにも、ハリウッドスターになりたい」と目指す道のりまでを熱く語った。

【写真】「ハリウッドスターになりたい」と瞳を輝かせながら語る大野拓朗 インタビューカット

朝ドラ・大河ドラマ出演も…絶頂期に突然アメリカに渡った理由とは?

 2010年に俳優デビューを果たし、2015年には『三匹のおっさん2~正義の味方、ふたたび!!〜』や『Let's天才てれびくん』など数々のドラマ、バラエティに出演。“週7でテレビ出演する男”とも呼ばれた大野。NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』の若旦那役、『わろてんか』のしゃべくり漫才の開拓者・キース役も人気を集め、大河ドラマ『西郷どん』では人斬り半次郎を演じるなど国民的ドラマにも次々と出演したほか、『ロミオ&ジュリエット』のロミオ役をはじめ、ミュージカル俳優としても地位を確立してきた。

 そんな絶頂期、30代に突入した2019年の夏に大野は退路を断って単身ニューヨークへと旅立った。順風満帆な芸能生活を送っていた日本を離れることに未練や不安はなかったのかと聞いてみると、「まったくなかったです」と告白する。

 大野は「小さな頃から世界中を飛び回る仕事がしたいと思っていました。英語も大好きで、いつか話せるようになりたかった。20代の僕は、おかげさまで俳優として忙しい毎日を過ごさせてもらい、目の前の仕事に対して120点、150点を取ることに必死で突っ走ってきました。でも30歳になると思った時に『あれ、英語を話せるようになっていないじゃん!』と気づいて」と苦笑い。「またその頃に若くして身近な人が亡くなることが続いたのも、僕にとって大きかったですね。『いつ死ぬかわからないんだな』と実感しましたし、それならばいつ死んでも後悔しない人生を送りたいなと。そこでハリウッドという夢を追いかけてみようと決心して、アメリカに渡りました」と振り返る。


 アメリカに渡るや、世界中がコロナ禍に見舞われた。そこでも大野はめげず、「コロナ禍で思うように外に出られず、ブロードウェイの舞台や美術館にももっといっぱい行きたかったなという希望もありましたが、『いや、僕はここに勉強をしに来たんだ』と思って。Zoom授業を受けたり、1日13時間くらい、ひたすら勉強をしていました」と打ち込んだ。もともと「引っ込み思案だった」という彼だが、「アメリカに渡って、積極的に人と話すことができるようになって。自分から動いて誰かと話すことで、さらにまた新しい出会いへとつながっている実感があります」とうれしい変化もあったという。

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初ミュージカルで挫折 「下手くそ」と言われた過去をバネに

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