「見る人が変われば、全て変わってしまう」綾野剛、“真実の多面性”に挑んだ最新作で魅せた新境地
本作の中では、1人の人物を別の角度から別人のように見せ、なおかつ時間の経過と共に追い詰められていく人間のリアリティを生々しく表現している。その変幻自在の有り様からは、綾野についてしばしば語られる“憑依系”という表現が浮かんでくるが……。「憑依」という言葉について、綾野は複雑な表情を見せる。「憑依しているというように薮下や律子さんが見えていたのであれば、嬉しいですし、そういった瞬間を少しでも多く得られ、より精度を高められたらという思いはあります。ですが、憑依していたら良い芝居かどうか、そういう基準では考えていません」。
その理由についてはこう語る。「憑依と言われるのは、時に個人的で、時に贅沢で、時に作品から離れているものだと思います。準備をたくさんしてきた方々がこの作品に関わっています。例えば憑依してしまうと三池監督のことも認知できない。それは作品に対して、とても危険なことかもしれません。ただ、その憑依に近い発見と言いますか『微細の表情』とか、『未開な筋肉の動き』『声帯域の更新』など、知らない自分を発見する瞬間があります。それは現場の風土が導いてくれたもので、決して自分1人の力ではありません」。
同じ人が同じことをやっても、見る人や角度が変わると、全く違って見えてしまう恐ろしさ。しかし、これは現実にも十分に起こりうることだ。綾野いわく「129分の壮大な切り抜きともいえる問題作」に無数に散りばめられた情報により、何が真実かどんどんわからなくなってくる。1人の教師の人生を狂わせた「でっちあげ」の恐怖は、観客に重い問いを投げかける。(取材・文:田幸和歌子 写真:上野留加)
映画『でっちあげ 〜殺人教師と呼ばれた男』は公開中。