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中村倫也が語る“俳優/人間としての現在地” 表現者として「不安定を好んでいる癖がある」

映画

中村倫也
中村倫也 クランクイン! 写真:上野留加

 ある日、幼い娘が失踪した――。17日に劇場公開を迎えた映画『ミッシング』で、娘との再会を望む夫婦を支援したいと思いながら、視聴率というバズを重視する会社との板挟みで苦悩する地元テレビ局の記者・砂田を演じた中村倫也。百戦錬磨の彼が見せる人間くささは、作品の屋台骨になっている。そんな中村が、作品の舞台裏はもとより、「役への共感」「表現しない演技」「マンネリ化しないコツ」など、俳優/人間としての現在地をたっぷりと語った。

【写真】黒ストライプのセットアップで取材に応じた、中村倫也の全身ショット

■“削ぎ村倫也”で挑んだ『ミッシング』

――中村さんが今回演じられた砂田は、上に無理を言われて下の面倒を見て――と板挟みになる中間管理職ポジションです。そうした立ち位置について、ご自身が共感する部分はありましたか?

中村:厳密に言うと企業の中の中間管理職と僕は違うし、役者だからそう見られてもいないと思いますが、そうした感覚は確かにあります。作品づくりの中で年上と年下が半々だったり、どちらかがちょっと多かったりするような立ち位置になってきましたしね。主演をやっていたら周りがこちらの意向をうかがってくれる立場ではありますが、対人でいうと中間ですから、そうしたマインドは自分の中に常にあります。年上との接し方は昔から割と得意でしたが、年下との付き合い方は結構試行錯誤しています。

年齢的に真ん中な自分がどういう言葉を投げかけ、どんな接し方をすれば年下の子たちが良い空気感で芝居を出来るのか――アドバイスした方がいいのか、しない方がいいのか、する場合はどんなニュアンスで伝えるかなど、俳優だけでなくもちろんスタッフに対しても一つひとつ考えながら動いています。

僕自身、企業の人間ではないですが砂田に対するシンパシーは抱いていましたし、ご覧になってくれる方々も社会に出た方ならきっとそう思ってくれるはず。だからこそ、演じる上ではアピールしすぎずにそのさまが自然と出るようにするのが一番いいかな、と思いながら取り組んでいました。

そういった意味では、今回は吉田恵輔監督(※)からのリクエストもあり表現しない、“削ぎ村倫也”で臨みました(笑)。自ら表現しないことで、おのずと周りとの関係性や受け答えのニュアンスで見えてくる情報量が増えてくるはずだ、と考えて。「お客さんを見くびらない」ではないですが、しっかり想像してくれることを知っていますし。とはいえ長く役者をやっていると、台本を読み込んで「こういうことだろうな」と理解して提示しちゃう癖がどうしてもついてしまうから、意識的に「表現しない」と決めました。

――そんな中、砂田が一瞬激情を見せるシーンが鮮烈でした。

中村:砂田を演じながら、ちょうどよくアウトプットできない不器用な真面目さがあるヤツなんだろうなとは感じていました。溜まったものの発露がああいう形になってしまって、しかも彼自身無自覚なのかもしれないけど森優作さん演じる圭吾とリンクしてしまった――ということだけ頭に入れて演じていました。

撮影スケジュール上も森くんのその芝居を目撃するシーンが先にあったので、吉田監督に「ミラーリンクではないですが、圭吾の表情を受け取った状態でこのシーンに至る、で大丈夫ですよね?」と確認した記憶があります。

――ちなみに中村さんにとって、役への共感はどれくらい必要なものですか? 距離がある方がうまくいく場合もあるでしょうから、必ずしも近い方がいいものでもないかなと思ったのですが。

中村:なにかあったとき、弁護は必要な気がします。役を弁護するためにはなんとなく分かっていないといけないかなと。もちろん、自分が生きてきた中で得た感覚や経験、性格と照らし合わせて素早く共感に結びつくパターンもありますが、そうじゃなかったとしても「こういうヤツかもな」くらいの弁護はできるようにしています。

その上で距離感についてお話しすると、実はどんな役でも同じです。役に引っ張られることもないし、僕が引っ張ることもありません。

――それはキャリアを重ねていく中で到達したものなのでしょうか。

中村:というよりも、生きている歴が長くなったからですね。見てきているものや経験していることが増えると、結びつきやすさの要素は増えていきますから。これは僕の性質的なものかもしれませんが、役に没入すること自体、これまであまり経験がありません。

――舞台で長く一つの役を演じられるときも、距離感は変わらずでしょうか。

中村:舞台は超冷静です。どちらかと言えば、映像の方が集中しています。ガッと入り込んでいるように見えても、冷静にその様子を見ている自分がいます。

――確かに、舞台だと自分で場を展開していかないといけませんもんね。

中村:そうそう。舞台は役者たちが見せるべきポイントを編集して提示していくものですから。もちろん入り込んで演じる役者もいますが、それすらコントロールできた方がクレバーだなとは感じます。

――先ほど上世代と下世代への接し方のお話をしていただきましたが、2度目・3度目の共演も増えてきたかと思います。プラスに作用すること、逆にお互い分かっているからこそ枷(かせ)になることなどはございますか?

中村:枷に感じたことはないかなぁ…。昔から知っている共演者とラブシーンをやらないといけないときに照れくさい、くらいでしょうか。お互いに笑っちゃって「なんだこれ」ってなる――みたいなものはあります(笑)。

――中村さんにお話を伺っていると、常々「自己の客観視」を感じます。芝居においても対人コミュニケーションにおいても「自分がこう思っていても相手に伝わらない」ことは往々にしてあるかと思いますが、どんな工夫をされているのでしょう。

中村:僕はこの仕事を始めた10代の頃から、自分の考えていることが表に出ず、伝わらないことをずっと悩んできました。でも、あるとき「自分もそうなんじゃないか」と思ったんです。人のことを知ろうとするけど全然つかめていなかったり、経験値が上がるほどデータ量は増えますが、それが当てはまらない場合もたくさんあったりするんだろうなと考えるようになってきて。だからこそ、知る誠意といいますか、一緒に歩みながらものづくりをしていく努力はもちろんしつつ、「知った気になって決めつけて、何かを事前に思い込んでは失礼だ」と心がけるようにしています。

今回の砂田に関していうと、彼のキャラクター性や環境は社会に出た多くの人と重なるもので、誰もが一度は経験した葛藤をリアルタイムで抱いている人間なんじゃないかと感じました。分母が大きいぶん、表現しないほうが見た方が育ててくれると感じて、先ほどの「削ぐ」方法論を取りました。

――役者の中で「正解」と思っても、監督やお客さんの中ではそうでない場合もあるでしょうから、委ねる余白を作るというのは非常に納得できます。

中村:仮に、監督からこう演出されて「おかしくない!?」と思ったとしても、実はプロデューサーが監督に指令を出していた…みたいなことも“あるある”ですしね。もちろん、劇団☆新感線でそうした引き算の芝居をしてもしょうがないので(笑)、ジャンルに合わせて変えていくものの内の一つではありますが。

――削いでいく上でも作品を通して「その人物を見続けられる」味付けをしていかなければなりませんから、その塩梅の調整は難しいだろうな――と想像します。

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■「なんだか落ち着かない」がちょうどいい

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