音月桂、宝塚卒業から歩んだ濃厚な10年 受け身の姿勢からハングリーに変化
――2012年12月に宝塚歌劇団を卒業してから今年で10年。この10年を振り返ると、あっという間でしたか? それともやっと10年という感じでしょうか?
音月:どっちもあるかな…。宝塚を辞めた時には相当覚悟したんです。外の波は荒波だろうな、いろいろ大変なことあるだろうなって。どうしても宝塚は守っていただいていて、ホームグラウンドのような優しさもあったので。改めて振り返るとこの10年は、けっこう自分の中では激動で、いろいろありました。いいことも、壁にぶつかることもあったし。濃厚な10年だった気がします。早いっていう感覚が合っているのかな…。
――卒業する時に、思い描いた10年後にたどり着けている感じでしょうか?
音月:一番は、私は何かを表現するっていうお仕事を続けたいって思ってたんですね。自分がやっぱりやりたいなって思うことがある限りは、このお仕事はしたいなって思っていて、その気持ちは今も変わらないんです。いろんなことがあって、できないことがあって落ち込むことや、投げ出したくなることもあるけど、でもこの仕事を辞めたいと思ったことは一度もなくて。宝塚の時も、“もうやだ、舞台なんて!”って思ったことは一度もないんですよね。
でも、宝塚の時は与えられるものに対して100%でお返しするという感じの受け身の姿勢でいたのが、今はハングリーになりました。自分のやりたいことを自分の表現方法で、発言したり表現したりしていくことがやっと楽しくなってきたかもしれない。10代から宝塚にいたので、自分の個性だったり、内に秘めたものをそこまで全部出しちゃいけないと勝手に抑えていたのですが、なんとなく、少しずつ出てきて。10年経って、本名の自分に近くなってきている気がします。
――音月さんは、歌、ダンス、お芝居とすべて兼ね備えている印象ですが、本当にお芝居がお好きなんですね。
音月:好きな順番をつけるとしたら宝塚下級生時代は、踊り、歌、お芝居の順で、お芝居には苦手意識がずっとあったんです。一度、音楽も踊りもない日本物のお芝居に出たことがあって、そこでお芝居の楽しさを覚えて。そうなると、自然と踊りや歌にお芝居の気持ちが入るようになって味わいが出てくるような感覚がありました。表現することが好きなんだと思うんですけど、芸事にゴールはないし、そこがいいところだとも感じていて。いつも何かを追求して、どうにか自分の手に入れたいと思いながら探し回っている状態が私は好きなのかなって思います。